五月の記し

がんとお付き合いしながら、自由に働きたい!を模索するブログ

毒家族への依存からの開放

がんサバイバーで、働き方模索中だけど怠け者の、めろ(@tkhs_mero)です。

この9か月で「がん告知」「治らなかった」「生涯がん」と、恐らく、わりとヘビーな話を受け止めてきました。

わたし自身は、どの時もほとんど落ち込むこともなく、むしろ「なにそれ…面白い…」と変態ぶりを発揮してきました。

 

まだ堪えてないだけかもしれませんが、この「大して堪えてない」に思い当たることがあったんで、書いておきたいなと。

この体験がなかったら、今頃、泣いて暮らしていたかもしれないと思いました。

 

 

1年前の話

ちょうど1年前のゴールデンウィーク

わたしはコメダに入り浸ってました。時間ができるとコメダで本を読み、紙に頭の中を整理してました。

何を読んでいたかというと。

 

不幸なわたし

何年も不幸だ!と思い悩み、不幸から抜け出せずにいました。

思い描く幸せ「自宅を買い、車を買い、年収がどのくらいで、うんぬんかんぬん」という生活とは程遠く、その溝の埋まらなさ、この先も叶えられないだろうと、嘆いてばかりいました。

 

わたしが幸せになれないのは、「親が○○を教えてくれなかったからだ」「親がこうしてくれなかったからだ」「夫がこうなってないからだ」とかなり長い間、何年も延々と考えていました。

文字に起こしてみると、おかしいことがわかるんですけどね。

頭の中でぐるぐるしていると、気がつかないんですね。

 

考えて考えて、ある時、「あれ?「親が親がっ」てすごい思ってる。結婚して自立したと思ってたけど、これまだ親に甘えているのでは…依存しているのでは…?

生活が分かれたのに、精神的な依存があることに気がつきました。

 

毒親」という言葉が随分流行ったから、意味はわかるでしょう。

毒親」って、虐待、ネグレクト、過干渉などの親ですね。これを受けた子供は、その後生き難さを感じることが多いようです。大変なことですよ。

 

わたしの実家は、普通の家庭。

サラリーマンの父、専業主婦(パートとかしてた)の母、父方の祖母、6歳上の兄、5才上の姉、わたしの6人家族でした。

首都圏の当時の新興住宅地に家を買い、ご飯も食べれて、普通に教育を受けさせてもらえる家庭でした。

 

とっても普通。

今は核家族が普通だけれど、わたしが子供の頃は、祖父母と3世帯家族は普通にありました。どのうちにもおじいちゃん、おばあちゃんがいる感じ。当たり前の家族構成。

 

とっても普通の家庭に育ったのに、何が問題だったの?

子供の頃のわたしは、無気力、声も小さく、食も細く、何事も受身で、周りばかり気にしてビクビクして、悪夢ばかり見て、疲れきってような子供でした。

決定的な1つではなく、長く長く家庭内で行われていたことが原因だったんだと思います。

 

わたしが産まれたとき、上に書いた6人家族でした。

でも、わたしが産まれる前、状況が違っていたらしい。祖母はわたしが産まれる前に、急に同居をし始めたらしいんです。

嫁姑戦争!とかいうけれど、表立ってやりあうことなく、ずっと母は黙って我慢してたように見えました。

ただ、母の代わりに、姉がいつも戦っていました。姉的には、母を守ろうと必死だったらしいです。

毎日狭い家の中に怒鳴りあう声が聞こえる。怖い。母は黙って狐みたいな顔してピリピリしている。怖い。

 

父は、平日はいつも深夜帰宅。週末はゴルフみたいな典型的なサラリーマン。

ピリピリしている家の中をどうにかするわけでもなく、むしろ父がいると更に家の中がピリピリします。気に入らないと怒鳴られる。ご飯の時にお茶碗ひっくり返すと怒鳴られる。怖い。

おかげでご飯の味も分からず育ってしまいました。家で食べるご飯が美味しい!と始めて思ったのは、結婚した30代以降です。

 

さらに、6歳上の兄は、生まれながらの病気を抱えていました。

小人症という背が伸びない病気です。母はかかりっきりで兄の面倒をみていました。

子供の頃は良くわからなかったけれど、今も続いている典型的な過保護です。

 

母を守ろうとする正義感の強い姉は、わたしのことを「かわいがる」と称していじめました。

言葉の間違いや行動を指摘して嘲笑する、要らない子だと言う、他所の子供と比べてわたしがダメだと言う、そんな風に日々精神的に追い込まれていました。

 

そんな色々なことがあって、わたしは小学校2年生くらいに抜毛症という神経症を発症します。

神経症は、心理的負荷が強い場合に出る症状で、チック、吃音(どもり)、爪噛みなんかとともに、抜毛症という症状があります。自分で髪の毛を抜いてしまうんです。

それについて、小さいわたしは必死に隠そうとしましたが、兄や姉に見つかって笑われ、母に見つかってなぜか怒鳴られ、深く深く深く傷ついて、適切な処置を受けることがないまま、大人になりました。

 

わたしは親姉からネグレクト、精神的虐待を受けて育ったと思っています。

どちらもそんなひどいものではないけれど、自分の精神を保つことに必死な0歳~10代でした。

 

ネグレクト、精神的虐待なんて急に言われても、本人達は「何のこと?!見に覚えがない!」と言うだろうな…と言うほど、些細なこと。小さなこと。外部の人がじっとうちを監視していても、そう思うかどうかも怪しいほど。でも、わたしの精神は蝕まれ続けたのも事実。

 

もちろん楽しい瞬間もありました。姉もわたしの面倒を良く見てくれました。

ただ、良いことよりも悪いこと、恐怖は何倍も深く刻み付けられるんです。

兄、姉もそれぞれ傷ついて大変な想いをしていたかもしれません。

総合的に全体を見て「自分はそれほどでもなかったよね」と判断できる子供はいませんよね。

自分に降りかかったことが世界の全てですから、わたしの世界はほぼ、恐怖でした。

その家庭の価値観が「自宅を買い、車を買い、年収がどのくらいで、うんぬんかんぬん」でした。

 

数年前、母と話していて「姉宅は勝ち組だから」と言われたんですね。

姉は年収1000万超の旦那さん、子供に恵まれ、マンション、車を買って、すごい高い猫を飼いました。

「あんたが普通なのよ。みんなあんたと同じくらいなんだから」と言うんです。

姉の生活は、実家の価値観に一致しています。わたしは一致してません。

姉家庭は、父母にとって自慢なんだと思いました。

なんかすごい馬鹿にされている感じがしました。

 

兄には過保護、姉には見栄(お金)、わたしには…愛情をかけられた覚えはない。

他にも父にすごい馬鹿にされた発言をされて、完全に「実家と距離を置こう」と決心しました。

 

それからもグズグズグズグズ、わたしの中でその価値観がくすぶって、くすぶって、最初に戻ります。「親が○○をしてくれなかったから、今のわたしは不幸なんだ」これに着手することにしました。

 

そして、去年のゴールデンウィークに、前出の本を読みながらじっくり考えました。

 

従順であること=生きるための利益があること

毒親の子供は、いつまでも親に従順だといいます。

それは、親に従順でないと生き残れないからです。それほど分かりやすい虐待とかなければ、本人も見落とし、従順な子供のまま大人になるんじゃないかな?と思いました。

現にわたしも、随分長い間「従順な子供」のままでした。

 

従順であること=生きるための利益があること

 

だと思いました。「従順であれば何か良いことがある」と思っているから、関係を断ち切れないのだと。

大人になっても、「親や家族との関係がよければ、何かよいことがある」と考えてるいる。

被害を受けながら、わたしの方も利益を期待していたのだ!と気づいたのです。

小さな子供が「利益に甘んじて…」とはなりませんけども、大人になっても関係を断ち切れない心理にはそんなものがあるのかもしれないと思いました。(他の人のことはわかりませぬ)

 

そこで、すごい荒療治ですが「誰か死ぬまで家族とは会わない」と決めました。

さすがに葬式にはいかないと行けないけれど、それ以外は関係を断ち切ろうと思ったのです。こうすれば、わたしは利益を期待することはないです。だって、関係絶ってますからね。たまにかかってくる電話も、そっけなく早めに切るようにしました。

親兄姉を傷つけるつもりはなく、ただ、わたしはもう関係を絶とうと思ったんでした。(兄は好きだけど、ただ普段から連絡は取ってなかった)

 

毒家族への依存からの開放

やっと本題にたどり着きました!パチパチパチ

上のような状態がしばらく続いて、沢山の心境の変化が起こりました。

本を読んだり、考えたりしているうちに、沢山のコンプレックスが無くなっているんです。

 

「自宅を買い、車を買い、年収がどのくらいで、うんぬんかんぬん」でないと幸せになれない、もまったく思わなくなりました。

根深かった学歴コンプレックス(学歴の高い人を見ると萎縮してしまう)もなくなりました。

ついでに、もう40年も続いていた、ふとした瞬間に湧き上がる「もう死にたいな…」もまったく思わなくなりました。ずっとずっと、早く死んで終わりにしたいなという気持ちが年300回くらい起こっていました。もはや日常です。それが全然思わなくなった。

 

そういうのがなくなると、いつも「今、すごい幸せ、楽しい!」と思うようになります。

経済的事情は1ミリも変わりません。でも、今までで一番幸せを感じるし、楽しい。

 

今までも、何度も考え方を変えて、その都度「良くなった!」を実感してきたけれど、今回のが一番大きかったと、今は思うんですね。

 

そんな、わたしの心の状態が整ったところでの「がん告知」

気持ちに余裕があるせいか、「何これ、面白い…」と思うほどでしたw

 

整ったところで、次のステップ来たかな?!

 

そんな感じ。ではでは!