五月の記し

がんとお付き合いしながら、自由に働きたい!を模索するブログ

毒家族とのその後

がんサバイバーで、働き方模索中だけど怠け者の、めろ(@tkhs_mero)です。

昨日の記事「毒家族への依存からの開放」に沢山反響いただきました。

ありがとうございます。

はじめたばかりのブログだというのに100以上のアクセスがありました。

多かれ少なかれ、同じような境遇の人が沢山いるのだと思います。。

みんな、頑張れ!

 

毒家族とのその後も書いておいた方が良いなと。

 

誰にも会わない!からの「がん告知」

「よし!誰か死ぬまで、家族の誰とも会わないぞ。」と決めてから、なぜか心が軽くなっていたのでした。

順調に楽しく生活していた矢先に2016/9に「がん告知」。

告知もどの日が告知なんだか良くわからない適当さで、電子カルテ覗き込んで「先生、悪性リンパ腫って書いてあるよ?」みたいな感じで知るのでしたw 聞いたことないw

 

悪性リンパ腫になって、病気のこと調べまくって、お金のこと調べまくって、検査しまくっている頃に、ずっと相談や報告をしていた親友が「実家に言った??」と。「言ってない」「言いなさい~!!今すぐ言いなさい~!!今すぐ電話しなさい~!!」と怒られる。(笑)「えぇ?なんでぇ?色々決まったら、報告するよ~」と言うと「家族ってそんなもんじゃないんだよー!!!」と怒られる。(笑)えぇ。わたしにとってはそんなもんだったんだけどなぁ。わたしの知らないことがあるのかなぁ?と一応連絡する約束をする。

 

家族に連絡

連絡した時の反応はもう覚えてない。「はっΣ(゚д゚ll)」とか言ってたかもしんない。なぞの長考をしてたかもしれない。(黙って考え込む)

告知デー(もう知ってたけど)には、母と姉がついて来るという。要らないと断ったけど、「後ろで聞いてるだけだから!」と言うのでOKを出した。

そんな感じで、「誰か死ぬまで、家族の誰とも会わないぞ」がうやむやに。(笑)

用もなかったのでしばらく会ってなかったし、ほとんど連絡も取ってなかった。

わたしのがんをきっかけに、少し連絡を取るようになって、入院時にはせっせとお見舞いにも来てくれた。

最初の3か月くらいは猛然と、電話やらお見舞いに来てくれるんだけど、途中でパタリと連絡がほぼ来なくなった。飽きた?

 

なんか、その「飽きたの?」が感じ悪かったけど、こちらはもう一生のお付き合いなので、人のこと気にしている余裕はないんです。

一度、自分の依存に気がついて、断ち切る決意をしたせいか、そんなことにも、振り回される感じはしなくなりました。あっちはあっち。こっちはこっち。会いには行かない。父には一生会う気はない。(姉宅には1度行った)

 

母は、わたしがブログ(別にやっている)を更新すると、それを見て電話してきます。ブログを見て近況を知るんです。病気のことがなければ、とくに連絡することもないんだろうなと思います。電話してきて、心配しているアピールと実家はみんな具合が悪いアピールをします。最終的に、わたしがうんざりして電話を切り上げます。

本来なら、もう年を取った親に親孝行をしなければと思うところなのだけど、今までされて来たことを思うと、何もする気にならない。やはり距離を置こう…と思う。

 

尊敬できる人たち

義理の家族は、とても爽やかで、色々な面で助けて貰ってます。

義母は、乳がん胃がんを経験しています。

胃がんのときは、直後にお見舞いに行ったけれど、いつもどおりのさっぱりした義母でした。

2回もがんを経験して、1ミリの悲壮感も大変さも感じさせない、義母や家族をとても尊敬しています。

義理の家族は、わたしから見ると、とても健康的な精神の持ち主なんです。

 

これからは、自分の尊敬できる人のほうを向いて生きていこうな!と思います。(゚∀゚)

今日は午後から、主治医と治療を決める話をしに。

どうなることやら。

ではでは!